初心貫徹とはいうが、12年はたまた50年100年という歳月をかけて成し遂げられる今も残りし遺跡の数々に驚きは隠せない。
中には完成を目の前にして命を閉じる人達もいるという。
しかしながらその人の意思をひきつぎゴールにたどりつく人達もいる。
志した人の気持ちに心から賛同できなくばそれもまたかなわぬことであろうから、
結局は初めの人の意思の尊さともいうべきか。
よって、志し半ばにしてこの世を去った人も全くなんの思い残すところがあろうか。
その年月は決して無駄にならない。そして、その人達は知っている。そのことを。
そして無駄になったとしても、していることになんの迷いも邪念もなく一心にそのことのみに専念しているのであろうから、本人はこの上なく幸せだろう。
私はいったい何をしているのだろう。今
目の前にあることにぐちり、
次の日のことで悩み、
少し先のことでおちこむ。
1つ1つの些細なことに動揺し悔やみ恥ずかしがる。
そんなことがいったいなんの役にたつというのか。
そんなことが前進に結びつくというのか。
ゆっくりだ。
あと1日で全てできる必要も、分かる必要もないし、できるわけもない。
10年かかっても、15年かかっても、20年かかってもいいではないか。そうしたいなら前へ進むよう考えていこう。
今なら何かできる気がする。
1997.1.5